川合玉堂といえば、現在の愛知県一宮市出身で岐阜に転居したことから、東海圏の美術館では常設展示室でときどき紹介されています。ところが、横山大観や竹内栖鳳らの巨頭の陰にかくれてしまって、どんなところに特色があるのか僕にはつかみどころがよくわかりませんでした。そんな、モヤモヤがあったところ、ありがたいことにまとめて観る機会を提供してくれている名都美術館へ。今さらですが、展覧会に出かける動機は、あまりよくわからない作家やテーマだからこの目で見てみたいというのがほとんどです。
さて、川合玉堂の特色がよくわからない理由ですが、おかげでよくわかりました。京都で円山派や四条派をしっかり学んだあとに東京で狩野派を学んで、その後琳派などを研究したのですね。京都から東京に行ったのも、師匠の幸野楳嶺が亡くなったことと自分も出品していた展覧会で橋本雅邦の作品を見て感激したという偶然が重なっていました。
展覧会を見て一番良かったのは、川合玉堂が毎日欠かさず写生をしていたけれども、本番の作品では写生にとらわれずに描いていたことでした。ナンシー関の『記憶スケッチアカデミー』という、我々凡人はいかに記憶が曖昧か、そして記憶で描くことのすばらしさを教えてくれたシリーズがありましたが、それの超プロ版を川合玉堂は行っていたのですね。もちろん、自然を前にして写生をしながら絵の世界を作り上げていくという方法も重要ですが、写生に頼らないことで得られる自由で緊張を強いられる世界を玉堂は実践していたようです。
それから、今回の名都美術館の展覧会では、玉堂の琳派研究をしていた時期の作品を多く紹介しているのも特色でした。琳派は誕生してからずっと評価されていたのかと思ったら、明治30年代後半にその存在が一般に知られるようになったとのこと。琳派を軸に玉堂の作品をながめると、ぐっと親近感が沸いてきました。
名都美術館の良いところは、庭がきれいなほかに作品解説に熱意と愛情が感じられるところでしょうか。「この絵を前にして、どんな解説が読めるのか」が楽しみで、「なるほど、こう書くか」という意外性が毎回必ず得られますし、「この作品を前にして言葉にするのはむずかしいな」と思える作品にも解説がつけてあって、「もうだめだ~、と思ったときが踏ん張りどころ」という、締め切り間際で某先輩学芸員から教わった言葉を思い浮かべてしまいます。
※「生誕150年記念 川合玉堂展」2023年10月13日~12月10日
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