サイトウミュージアムもサテライト会場となっている「松阪カルチャーストリート」。今回のメイン会場では立体造形作家に絞った展示がされています。表現の違いだけでなく、ことなる素材や技法を見ることも楽しみのひとつです。それぞれの作家や作品について、短い文章ですが紹介させていただきます。
【原田二郎旧宅】
■細川和音は昨年の展示に引き続き、クスノキを素材にした彫刻を展開しています。今回の作品によって、昨年発表された横たわる人物のような作品が、実は別のモチーフが元になっていることがわかりました(ここでは鑑賞される方の楽しみを奪うことになるので明記しませんが)。ある具体的なモチーフであっても、色彩を省いて巨大化することで印象が大きく変わり、多義的なものへと転換されていく、そのダイナミックな感覚をこの作品から得ることができるかもしれません。タイトルの《vessel》は、容器や容れものという意味ですが、意識が広がる感覚がこのタイトルにも託されているように思えます。
■出口潮の《あきをむすぶ》は9つの陶からなっています。秋を象徴する紅葉の風景や木の実などを意匠化し、断片的に集合させることで、様々な秋のイメージを増幅させています。近づいてみると、陶は層状になっていて、あたかも材木であるかのような様相を呈していて、それが描かれたモチーフとの親和性を生み出しています。作者は敢えて日の光が当たる場所に設置したかったと言うように、刻々と変化する陽ざしの角度や光の色温度によって、作品の透明感や材質感の微妙な表情を味わうことができます。
【旧長谷川治郎兵衛家】
■並木久矩の《Good will hunting》は、漠然と会場を歩いただけでは、どこに設置されているのかがわかりません。展示場所を教えてもらわなければ見つからない、それだけでも自分がいかに多くのものを見落としながら生きてきたのかを実感させてくれます。彫刻と絵画を並行して制作してきたという作者ならではの立体作品で、絵画も本当は平面ではなく凹凸のある立体であるとの認識を新たにしました。意外な場所に敢えて設置されているのは、人間の視界とは異なるところで他の生物は行動しているということを示しているそうで、それによって人間という存在が改めて問い直されているのかもしれません。
■横田千明の《Safety》は乾漆による作品です。松阪屈指の豪商であった小津家本宅の調理場近辺でリクガメが産卵するという、普通に考えれば違和感以外の何物でもない状況でありながら、実際にはそれほど不自然さを感じさせません。おそらく、巨大なリクガメが乾漆でできていて、建物の材質と調和していること、さらにはモノトーンで色彩が抑えられていることなどがその要因なのでしょう。リクガメが安心して産卵できるほどのなごやかな状況がこの家のなかで代々くり広げられてきたのではないか、といった具合に、この作品は場の歴史を想像してみることを鑑賞者に誘発してくれています。
■大西佑一は、昨年《Tool of Recollection(旧小津清左衛門家の場合)》を発表しました。部屋の中央の畳だけを残して鉄板に置き換え、畳には石膏でできた貝殻が千両箱に見立てられて設置されるなど、展示空間と深くかかわる展示がなされていました。今回の展示は、より広範囲に展開されていますが、いずれのオブジェも使用される素材に地元熊野の那智黒石が採用されている点で共通しています。熊野の自然や文化の特質をとらえながら、松阪の地に移植してみせる。場を生かしたインスタレーションとしても秀逸ですが、地域の文化が相互に流れていることをより感じさせる作品となっています。
■宮城歩夢は、「生命の形」というものをテーマに、様々な生き物の細胞や臓器をモチーフに制作を行ってきました。昨年の展示に見た種子を樹脂に包埋するという手法を継承しながら、今回はその形状を変容させて屋外での発表となっています。何本もの紐によって支えられた樹脂は蜘蛛の巣に捕まった虫たちのようでもあります。紐の角度はあえて規則性を持たせなかったのでしょうが、作品の正面から少し離れた距離に立つと、建物のパースペクティブと響き合って見えます。「生命の形」が建物の構造物と呼応しているということは、人間という生物がつくり出したモノにも生命のリズムと共振する何かがあるのでしょうか。
■高木鈴香の近年の作品は、サイコロのような無数のキューブで一部が構成されているのが特徴です。コンピュータの最小単位であるドットの集積物のようにも見えますが、今回《泣く女》というタイトルが付されていることにより、異なった解釈ができそうです。泣くという行為は笑いなどとくらべると極めて個人的であり、作者も自身を見つめるうえで重要な位置を占めていると述べています。その一方で、このタイトルを目にしたときに先ず思い出すのがパブロ・ピカソの《泣く女》であり、そこから辿っていくと、作者のキュービックな構造やアフリカ彫刻を思い出させる呪術的な造形がピカソを深く洞察するところからも由来し、それを現代の視点で構築しなおすという行為が制作に含まれているのかもしれません。
■平松嵩児は愛知県一宮市の出身ですが、松阪市に移り住んで制作を続ける作家です。近隣で採集された流木が使われ、そこにテラコッタで作られたリアルな生き物が融合しています。このハイブリッドな立体作品を前にすると、「生と死」や「自然と人工物」「収縮と拡張」などの対となる言葉が浮かんでくるかもしれません。では、庭に溶け込んで設置されている作品はどうとらえたらよいのでしょうか。庭は自然ではあるけれども人工物でもあります。対でとらえてしまうことの意味のなさ、あいまいさの重要性についても考えさせてくれる作品です。
■高橋光彦は長年「のこされたかたち」をテーマに取り組んできました。いずれの作品も削
りだされた円筒状の2本の木材が軽やかに飛翔しはじめるような形態になっています。木材に触れながら素材の発する声を聴き、同時に自身の内面を見つめて形を決定していく。制作のテーマが固まっても、それを長年かけて追及し続けることは楽しさよりも辛さが勝っていることは容易に想像できます。この作家の作品を複数同時に見ることは、微妙なかたちの変化に気づき、味わうということでもあり、禅における円相のような、私たちの心や感性が試
されているようでなりません。
(以上 文責 田中善明)
※掲載画像は上から松阪カルチャーストリートポスターと、細川和音/出口潮/並木久矩/横田千明/大西佑一/宮城歩夢/高木鈴香/平松嵩児/高橋光彦/各氏の作品。
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